心地よい春の日曜日

4月の最初の日曜日、いつもウォーキングする公園に行った。

お花見をする家族連れで、賑わっていた。

小さな子供達が走りまわり、幸せな風景だなと心穏やかになった。

こんな、何気ない平凡な一日が何よりも幸せを感じる。

心地よい春の日曜日、

いつまでも永遠に、この幸せな風景が続きますように、神社で手を合わせ、

元気よく、軽やかにウォーキングを楽しんだ。

桜がひらひらと舞い落ちていく。

今年の桜は本当に見事に咲いたと、神様からのプレゼントのようだ。

思いきり、深呼吸をして、さあ、今日も楽しく過ごし、明日からも頑張ろう。

エイプリルフール、嘘をついていい日

今日は4月1日、エイプリルフール、嘘をついても許される日だと言う。

そんな日があるわけない。

私は子供の頃から嘘をついてはいけませんと言われ育ってきたのに。

何故、そんな風習があるのか、、どんな由来から、きてるのかは知らない。

日本語では、直訳で四月馬鹿だと言う。

馬鹿になっていい日なのか。

それでも、世の中では、

空飛ぶペンギンが発見された

とか、笑える嘘をついて、一日の中でジョークだと言って笑い合える日だと言う

私は嘘が許されるなら、心の中の傷、思い出すと心が痛くなるような、

そんな思い出を、あれは、嘘だった。

あんな出来事起こらなかったと嘘だったと誰か言ってほしい。

相手を思いやる優しい嘘もあると思う。

今日は4月1日、エイプリルフール、世の中の人はどんな嘘をつくのかな。

思いきり、みんなで笑顔で笑い合えるような、誰も傷付かない嘘で

笑い声が響き渡るような、そんなジョークが言い合える、楽しい一日であったらいいなと心の底から願う。

みんなが幸せでありますように

 

心穏やかに機嫌よく、生きる

四男も20歳となり、成人したので、私も何か、新しい事を始めようとブロクを毎日書く事にした。

これが、思った以上に楽しい。

また、子供の頃、実家にいた時に祖父母や両親と一緒に朝夕、仏壇の前で手を合わせていた事を思い出した。

結婚してからは、すっかり、しなくなっていたなと、反省して、小さなミニ仏壇を買つた。

亡くなった祖父母や両親の写真も飾って手を合わせる事にした。

年2回、盆、正月にお墓参りぐらいで、本当に親不幸だったなと、お彼岸や祖母の命日など法要に出掛けた。

朝夕、読経することや、お墓参りなどは、実家にいた幼い頃は当たり前だった事が、結婚して、核家族で主人の転勤で県外に住み、会社の社宅暮らしの中で、いつの間にか、忘れてしまっていた。

目の前の居る子供達の事でいっぱいになっていた。

日常の暮らしに追われていた。

でも、法要に出掛け、御経を聞くと心が穏やかになっていく。

不思議な感じがした。

亡くなった今はいない祖父母や両親の事をたくさん思い出した。

幼かった頃、実家にいた頃の風景が次々と思い出される。

ああ。私は愛されていたのだ。

本当に大事に大切に育てて貰っていたのだと、この年になって、改めて感じた。

心が水が流れるように静かに穏やかになっていく。

綺麗な景色が、美しい絵となり、私の心を上機嫌にしてくれる。

心穏やかに生きよう。

常に上機嫌でいよう。

心から愛してくれた私の大切な家族に感謝し、今を大事に生きよう

毎日が楽しい、

生きている事が、楽しい。

健康であることに感謝し、今日も元気に明るく楽しく過そう。

ウォーキングに行ってきます。

姉さんは、綺麗だった

亡くなった私の母は、周りの人から、姉さんと呼ばれてた。

なぜ、姉さんなのか、6人兄弟の5番目として産まれ、姉達は結婚して実家を出て、長男である兄夫婦と同居していた。

父親は交通事故で早く亡くなり、母親は病弱で寝たきりで母は、ずっと小さい頃から家の家事や母親の介護、兄夫婦が朝早くから、仕事へ行くので、女の子3人、兄夫婦の娘達である姪っこ達の世話もしていた。中学、高校生の時には学校から帰ると家の仕事から家事まで全部やってて遊ぶ時間など、なかったと言ってた。

青春時代など、なかったと。

母の姪っこ達、私にとっては従姉妹だったが、いつも母を姉さんと呼び、とても慕ってた。姉さんから育ててもらったと。姉さんはとても、綺麗だったと。いつも、口々に綺麗で人柄がとても良かったと言ってた。

母は、実家の母親を看取ると父と、お見合い結婚した。

父は6人兄弟の長男で、嫁いでからも、姉さんと呼ばれた。

父の両親、私にとっての祖父母は、母に、長男の嫁として、厳しく、母はとても苦労していた事は、私は、もの心つく頃にはもう、感じてた。

父の兄弟や私達、子供の世話をして、家の家業を手伝い、舅、姑に仕え、一日中、働いてた。

自分の時間なんて、なかったと思う。

そして、祖父母が老衰で、寝たきりになると自宅介護をして、おむつ換えから、全部していた。

10年以上はしていたと思う。もっと長かったかも知れない。

私の記憶では、私が高校生の時には祖父は寝たきりだった。夜は、徘徊したりしてた。良く、自宅から出て行く祖父の後を追い掛けてた。今の時代は、

みんな施設に行くが、父も母も親の世話は当然と家で介護してた。 

私は母のような人生は嫌だと、娘時代、ずっと思ってた。

お母さん、生きてて何が楽しいの。

苦労ばかりして。母によく、そう言ってた。

でも、私も結婚し、息子4人産まれ、母親になり、愛する家族の為に生きる事が、こんなに尊く喜びのある日々なのだと言う事が今、分かるようになった。

母が生きていたら、もっとたくさん話をしたのに。

母が何を望み、やりたかった事、全てやらせてあげられたのに。

お母さん、行きたい所ある。

連れて行くよ。食べたい物ある。

会いたい人は、いるの

母の望みを全て叶えてあげるのに。

母はいない。写真の中で笑ってる。でも、母は心の中にいる。

今日も綺麗な景色を眺めよう。もう、4月になる。母の誕生日も4月だ。

姉さんは綺麗だった。人間性もよく、心も綺麗な人だった。

従姉妹の姉さん達が亡くなった母の事をいつも、そう言う。

姉さんは綺麗だった。

 

満開の桜の中で

お花見に88歳の義母と主人と息子達と出かけました。

お天気は良くて、桜が満開、みごとな桜の景色で、日本の自然の美しさ、

もう、竜宮城にでも来たような、夢心地だった。

コロナ禍で少なかった去年が嘘のように、春休みで子供連れも多くて、公園は人混みだった。平和だなあ。何て、幸せな風景だろう。

88歳の義母は、20歳過ぎた身体も大きくなった孫二人と一緒でずっとご機嫌だった。

今、理学療法しの資格を取るために大学で勉強している我が家の三男が

お祖母ちゃん、88歳にしては、姿勢がいいね。若く見えるよ

お祖母ちゃん、ソフトクリームを一緒に食べよう

とお祖母ちゃんの話し相手となり、カップルのように仲良しだ。

お花見が終わって帰る時は、また会いに来ますねと、私と息子達とハグをして手を振りながら車に乗り、家路へと出発した。

ああ、走って、着いて来てるよ。

車の窓から覗いてみると、義母が小走りで、車を追い掛けてる。

お祖母ちゃん、よほど楽しかったんだよ。また、会いに行こうねと、

息子達と話しながら、幸せな一日だったと、うとうとと、車の中で寝てしまった。

夢でまた、会いましょう。

お義母さん、元気でいて下さいね。

目覚まし猫、みーちゃん

今日も早朝、3時過ぎに、枕元にニャア、ニャアと我が家の愛猫が現れる。

まるで目覚ましだ。

寝ていて、目を覚まさない私の顔に鼻をくっ付けてくる。

なんだ、濡れているな。

何だろうとうっすらと、目を開けると、今度は手をがあむと、噛まれる。

痛い。だれだーと、飛び起きる。

目覚まし猫が現れる。毎朝、私を起こしてくれる。

痛い。

何なの。

水がほしいの。

お腹すいたの。

トイレ掃除しろって言ってるの。

ニャアとしか答えてくれない。

三年前に、保護猫で貰って来た猫だけど、前の飼い主さんは、引っ越すとかで、飼育できなくなり、メールで駅で待ち合わせして、暴れる猫を私に子荷物のように渡して車で去って行った。それでも猫には愛情はあったと思う。

たくさん、メールきたけど、貴方が一番、可愛がってくれそうだったからと言われた。それでも、手に余っていたのだろう。

猫の名前も種類も何歳であるかも、言われなかった。駅で、さっと渡され、5分で去って行かれた。毎朝、私を起こす猫に、私は、話しかける。

みーちゃん、あなたは何歳なの。

何処で産まれたの。

お父さんは誰、お母さんは、

兄弟はいるの。

ニャアーとしか、返事はしない。でも、毛が長く、モクモクしてて、手触りがよく、とても、可愛い。里親募集で、掲載されていた写真では、おめめは、ぱっちり、小さな子猫に見えたので、ほしいとメールした人が多かったみたいだけど、駅に現れた猫は、茶色の毛色のせいで、まるで狸か、アライグマに見えた。

暴れて前の飼い主さんの、手をがぶりと噛み、手から血が流れている。その手で猫を渡された。すぐ、引っ越すそうで本当に、せっぱ詰まっていたらしい。

えー。こんな大きな凶暴な猫、貰ってどうしようと思ったけど、一ヶ月もたつと我が子のようにとても可愛い。赤ちゃんみたいだ。

長男もよく、夜泣きして私を起こしてたなと昔を思い出す。

可哀想に一度は前の飼い主さんから、捨てられたと心に傷をもった猫だ。

精一杯、可愛がろう。そして、我が家の立派なお姫様猫となり、我が家の息子や主人、もちろん、私も召し使いとして、こきつかう。ニャアーと鳴いては、すり寄ってきて、遊んでくれ、相手しろと毎日、うるさい。何より、毎朝、目覚ましがいらなくなり、猫が起こしてくれる。猫との暮らしは楽しく、心を癒してくれる可愛く愛しい存在となった。もう一日も離れられない(笑)

枕元に現れては今日もにゃあーと泣く。

さあ、今日も元気に起きて楽しく過ごそう。

みーちゃん、おはよう。

 

 

 

子ども食堂でカレーを食べた日

第四土曜日、近くの公民館で子ども食堂が開かれる。

絵本と紙芝居を持って出掛けて行った。

子ども食堂も始まって6年目だそうだが、この、3、4年はコロナ渦の影響で中止になってばかりだった。

久しぶりの子ども食堂での読み聞かせだ。

私は公民館の和室の部屋に行き、机に絵本や紙芝居、舞台などを並べて子供達を待った。

何か、小さなお店を開いているみたいだった。

窓から外を眺めると、桜が満開で、何ともいいお天気だ。

今日は子供達、春休みに入り、外で遊ぶだろうな。

二階の講堂で走り廻って、遊んで、読み聞かせの、この和室には来ないだろうなと、思い、ひとりで絵本を読みながら子供を待った。

小学生の1、2年生の女の子達が4・5人やって来た。

いつも、小学校に読み聞かせに行くから私の顔を覚えていて、紙芝居読んでと言うのでひとつ、物語を読んだ。今度は自分で読んでごらん。紙芝居、面白いよと言うと短い紙芝居を一つ選んで、女の子が読み始めた。

上手に読めたね。紙芝居、面白いでしょうと話すと、楽しそうにニコニコしていた。その後、子供達と一緒にカレーを食べた。

幸せな子供時代、

私の大好きなイギリスの作家、アガサ・クリスティーの名言に

幸せな子供時代を送った人は、もっとも幸運な人だと言えます

と言う言葉がある。日本の最も愛する作家の宮澤健治は子供時代は石ばかり、集めていたと言う。

私の子供時代の思い出は、庭の柿をよく祖父が長い棒で、くるくる回して、柿をとってくれた。

本当に幼い頃の思い出だけど、スーパーで柿を見ると、おぼろ気にあの頃の風景を思い出す。不思議なもので若い時は思い出さなかったのに、年を重ねていくと、何故か、幼い頃の事を思い出す。

幸せな子供時代、それを守っていくのが親であり、地域の大人の努めだと思う。

みんなが幸せで笑顔で過ごせる子供時代を送れますように、いつでも、読み聞かせが出来る場所へ出掛けて行こう。