桜が咲く季節になると思い出す風景

もうすぐ次男の誕生日だ。

次男が産まれた時、病院の窓から見た満開の桜の花を思い出す。

本当に見事に咲いていた。天気も良く、天国にいるようなそんな風景だった。

人は生きていると人生で一度は不思議な体験をする。

私は次男が産まれたその日にそんな体験をした。

予定日の一週間前を迎えた私は実家に泊まりに来ていた。

実家の86歳の祖母が何年も前から、寝たきりで母が自宅介護をしていた。

父と二人で寝たきりの祖母をお風呂に入れたり、爪を切ったり、母はオムツ換えから、食事まで全部、世話をしていた。

いよいよ、食事も砂糖水しか、とらなくなり、最期の時を迎えようとしていた。

私は母の側で人の顔も分からない祖母に何度も話かけていた。

祖母は孫の私を忘れていた。毎日、24時間、そばに居て、介護をしている母の事も誰なのか、分からずにいた。そして、いつも、帰りたい、帰りたいと言ってた。

私は、お祖母ちゃん、何処に帰るの。家はここだよと何度もそう言って、祖母の手を握りしめた。

お祖母ちゃん、私が分からないの。お祖母ちゃん、私も母もいるよ。

お祖母ちゃん、何処に帰るの。

もうすぐ、二人めの孫も産まれるよ。

何度もそう、話しかけても、祖母は帰りたい、帰りたいと言ってた。

母に何処に帰りたいのだろうと聞くと母は、お祖母ちゃんは子供の頃に戻っているから、自分の産まれた家、実家に帰りたいと言ってるのだよと、言われた。

朝方、また、祖母は帰りたいと言ってたので手を握ると、かすかにちいさな声で、

お母さんと言った。祖母の最期だった。

父と母と私と1歳半の長男と、お腹にいる次男と祖母の最期を看取った。

お母さん、最期の言葉は、お母さんだった。

6人の子供の名前でもなく、祖父の名前でもなく、子供にかえった86歳の祖母は

お母さんに会いたいと、お母さんと言って旅立っていった。

それからはただ忙しく、お医者さんが来たり、お葬式の準備やらで父の兄弟がみんな、来て、静かだった実家がいきなり、人であふれた。

そんな時に予定日より、早く、私はいきなり、破水した。

足元に水が流れた。産まれる、どうしょうと主人を呼んだ。

夜の10時過ぎてたと思う。

朝、祖母の最期を迎えたのに、今日、産まれるのかと。

激しく痛む陣痛の波の中で11時過ぎに予定日よりも5日早く、次男が産まれた。

不思議だった。私は24時間、一日の中で人の最期の時と、人の産まれる誕生の瞬間を体験した。生命の繋がりのようなものを感じた。

 

人はひとりで生まれ、ひとりで大きくなるわけではない。

親、祖先から頂いた大事な命だ。そう感じた。生命の尊さを感じた。

今年も次男の誕生日、そして、祖母の命日が近づいてきた。

自分を大事にして生きよう、そう思った。桜が綺麗に今年も咲く。

今年もお花見に出掛けよう。

そして、亡くなった祖母や今は亡き、優しい両親を想い、心から感謝し、手を合わせよう。幸せに暮らしてます。みんな、元気です。安心してね。お母さん。

お母さん、何て素敵な響きだろう。

 

読み聞かせで始めた紙芝居

息子が小学生の時に、仲良しのママ友達から進められて始めた、読み聞かせ、絵本の世界に魅了され、その中でも、紙芝居の魅力に取り付かれてしまった。

紙芝居は面白い。日本の伝統文化だ。子ども向きもあれば、大人の紙芝居もある。

じっくり物語を楽しめるものもあり、参加型でレクレーションも出来る。

小学校で朝やお昼休みに子供達に読み聞かせに行き紙芝居をする。

みんな、目を輝かせキラキラした瞳でじっと見てくれる。

老人施設での大人の紙芝居は半分涙ぐみながら、聞いてくれる。老人施設では、最後は一緒に歌を歌ったりするが、みんな、喜んでくれる。

紙芝居は面白い。アニメも映画もユーチュブもあるけれど、あんな小さな箱から絵が出たり入ったり、するだけだけど、とにかく、面白い。見て楽しむのも良いけど、実際、自分でやってみるほうが百倍は面白くて楽しい。

私はこれからもずっと読み聞かせ、紙芝居を楽しんで続けて行くつもりだ。人生で、これやってたら楽しいよと言うものが、ひとつあれば幸せだと思う。

春分の日、彼岸会に行く

今日はこれから、法要へ行きます。手を合わせて仏壇の前でお経を唱える。私が

子供の頃は祖父母や両親から、当たり前のように教わってきた事だけど核家族で仏壇もなく、年二回のお墓参りぐらいで、我が息子達は全く手を合わせて仏さまにお祈りなどした事もない。親、祖先への敬愛もない。

子育てを失敗したなと思うのはそんな時だ。

自分ひとりで大きくなった訳じゃないでしょうと大声で言いたくなる。

今の子は我が息子と言えど個人主義だ。コロナ禍でますます、オタクになり、実家に帰って来ない。

いつ母親に顔を見せるのか。お彼岸、お盆、ご先祖様に手を合わせる機会がない。

今からでも親の後ろ姿で教えて行かねばと思う朝の目覚めであった。

喜びに包まれた日、心が温かくなった言葉

20歳の誕生日を迎えた四男と主人と三人でジョイフルへ食事に出掛けた。

上の三人の息子は家に居ないので、何か一人っ子みたいだ。

いつものように黙々と食べていた四男がふいに、20歳まで、育ててくれてありがとう。と言った。

私もにっこり笑って、お母さんの子として産まれてくれて、ありがとうと言った。

主人と二人で素直ないい子に育って良かったねとほんわかと心が温かくなった。

子育て終了の日、四男の誕生日

四男が20歳の誕生日を迎える。よく男の子4人産んで育てたなと誰からもほめらめた事もなく、この朝を迎えた。

この喜びを一人噛み締めよう。

亡くなった両親に手を合わせ、報告しよう。頑張ったよ。本当に頑張った。

健康に明るく元気に4人とも育ったよ。いろんな事があった。

しんどいこともたくさんあった。

精神的にも体力的にも、母親の言う事を全く聞かない息子に何の為に苦労して育てたのやらと嘆く事もあった。

でも、それ以上に楽しい事もあった。

何よりも、自分の命よりも大切な全力で愛する存在がいることは大きな喜びであり、人生を輝かせてくれる尊い時間だった。

自立してそれぞれ羽ばたいていくであろう、息子達を見守りながら、たくさんの思い出を胸に抱き、もっと幸せになりたいと思った。

私の人生は、まだまだこれからだ。もっと、もっと楽しく生きよう。

いいお天気、ウォーキングに行って来ます