母は、びわの葉エキスを作ります

グループラインである方から、

びわの葉、どなたか、

貰ってくれませんか。たくさんあるのでとメールを頂いた。

ああ、私、欲しいです。是非、下さい。と返事をして、

袋いっぱいにびわの葉っぱを貰い、サンタクロースみたいに

肩に担いで家に帰った。

さて、びわの葉の効用を調べると、本当に色々、たくさん出て来た。

びわの葉のエキスでも作ろうと、ネットでやり方を調べた。

私がもっと薬草に興味を持ち、詳しかったならと今更、この年になって、亡くなった祖母や母の事を思い出す。

小学生に、なぜお風呂にしょうぶをいれるの?と

おばあちゃんに尋ねる紙芝居を、

5月5日によく読むが、私もよく、知らなかった。

どうして、5月5日のお節句に、菖蒲やよもぎのお風呂にはいるのか、

邪気を払う行事として昔から伝えられている事も知らなかった。

亡くなった母が生前、お産の時に、私の家に来て、

アロハの葉は火傷した時いいからと、

アロハの葉ぐらい、植えなさいと言われたっけ。

次男のお嫁さんが漢方薬を飲んでいて、

お義母さん、知ってます。

漢方薬って、苦いんですよと言ってた。

私はまだ20代の若さ溢れる次男のお嫁さんが、自分の身体の

健康管理に気をつけている事に本当に感心した。

実家のお母様の家庭教育が良かったのだろう。

私も20代の時に祖母や母がよく、女性の身体は冷やさないようにとか、

色んな注意をされていたはずなのに、漢方薬も勧められたはずなのに、

何故、もっと真剣に素直に聞かなかったのだろう。

亡くなってもう、何年も経つて、今さらのように祖母や母の言葉を思い出す。

さて、びわの葉のエキス作れるかな。

いっぱい、びわの葉、貰い過ぎたので友人にもあげよう。

そして、みんなで健康に楽しく生きて行こう。

5月は田植え月でもあり、鯉のぼりや鎧や兜も飾る男の子の節句もある

重要な月、我が家の息子達の幸せを願い、

いやいや、世界中の子供達の幸せを心から願い見守り続ける為に、

元気で居なければ、

母はびわの葉エキスを作ります

 

母は選挙カーに乗ります

4月の半ばから、一週間ほど選挙の手伝いでずっと選挙カーに乗った。

黄色いジャンバーに白い手袋をして車の中から一生懸命に手を振った。

4人の息子を育て、ベビーカーに子供を乗せていた、

専業主婦だった私がなぜ、選挙カーに。

答えはかんたん

のびのびと子供を産み育て母親が安心して、

仕事が出来るそんな街であってほしいから。

私は4人の息子の子育てと仕事の両立など無理だった。

今のように保育園にみんな、預ける時代るでもなく、家で子供を世話をし、

24時間365日一緒にいた。

その事に後悔はしていない。

何よりも、子供の頃、なりたかったお母さんになれたから幸せだった。

でも、今からの時代、女性は仕事してキャリアを積み、結婚し、子供を産み、子育てし、何ひとつ、諦めてほしくない。

そして、子育て中のお母さんがもっと、周りの人から手助けされ、何の不安もなく、仕事と子育てを両立してほしい。

いつでも保育園に預けられ、産休も父親も母親も、当然、何かしら、援助をうけられるように、もっと、なってほしい。

ただただ、私は赤ちゃん連れたお母さんがたくさん、笑顔でいられる、子供の元気な声が、公園から響いてくる、そんな街であってほしい、それを望むだけだ。

子どもは社会の子、大事な未来の宝物なのだから。

 

こどもの夢

5月5日のこどもの日も過ぎ、GWのお休みも終わった。

コロナ禍が過ぎて、あちこちで、イベントがあり、旅行に行く人も多く人混みで賑わったらしい。

私は5月に入り、気温の変化で体調を崩し、偏頭痛に悩まされた。

雨が降ると頭痛がする。GWの途中で大雨となり、具合が悪くて起き上がれなくなり、寝てばかりいた。薬を飲んで休んでいると夢ばかりみる。

こどもの夢、

4人の息子達の小さかった頃の夢、

特に関東に就職して結婚した次男の夢

GWなのに家を出た3人の息子達は電話一本してこない。

娘二人いる友人は長女、次女家族が次々と孫を連れてやって来て忙しそうだ。

ああ、息子はつまらない。産み損、育て損、お金の掛け損とつぶやきたくなる。

かなり、身体がまいっているな。寂しさや空しさでマイナス思考になっていく。

こどもの夢ばかり見るのよねと友人に話すと、ああ。分かるよ。

私も身体が弱ると子供の小さかった頃の事ばかり夢に出てくる。

ある友人は一人息子がアメリカで仕事して結婚し、コロナ禍で会えないから、飛行機乗ってアメリカにいる息子に会う夢ばかり見てたと話をされた。

5月5日はこどもの日
いつから会えない子供に会う夢を見る日になったのだろう。

コロナ禍で会えない息子達の夢を見る。小さく、まだ幼かった頃の夢、トイレにも行けないくらい、追い掛け回され、ちょつと、側を離れただけで号泣していた頃の息子達、特に我が家は長男、次男と年子、

8歳離れて、三男、四男も年子、本当に、両手に子供の手を握り締め、離さないようにしていた日々、赤ちゃんだった頃は抱っこちゃんベルトで後ろに長男を背負い、前に次男、汗だくだくの日々だった。

三男、四男の時は肩凝りがひどいからと、おんぶに抱っこもしんどくなり、双子用のベビーカーに二人をベルトでくくりつけ、毎日、散歩してたっけ。

そんなこどもの頃の夢を見る。

特に関東に早く就職して会えない次男の夢を見る。

つくづく、飛行機乗らないと会えないような所に就職させるのではなかったと後悔してしまう。

年々、年老いて、体力落ちてくると近くに息子はいてほしいと願ってしまう。

今はライン電話で毎日でも顔見れるよと言われても、母親は会いたいのに、息子は親に会いたいとは思っていない。まだ親は元気だと思っているのだろう。

更年期かな。いやいや、更年期はもう、過ぎているはずだな。

世の中、5月5日はこどもの日、大人になってしまった息子に会いたくて、幼かった子供の頃の夢を見てしまう。母親とはなんと悲しく切ない生き物だろう。

もうすぐ母の日だ。生存確認のために花一つぐらい送ってくるだろう。

さあ、GWも過ぎ、しっかりと前向いて生きて行こう、ウォーキングしよう。

元気に頑張っているのだから、4人の息子達はそれだけで親孝行だとつぶやいて、母は今日も生きていくよ。

こどもの夢は今も時々、見るけどね。

母親が一番、子育てしてて黄金時代、幸せな記憶なのだから。

 

 

25年ぶりに会えた友

25年ぶりに友達と会った。

女の友情は続かないとか、言う人がいるけど、私達は出逢ってから25年くらい時間が過ぎている。お互いの子供が5歳の頃、出逢った。

再会すると25年の月日が嘘のようになくなった。

昨日、会ったように喜びあい、話が弾んだ。

お互いに彼女は三人子育てしながら、仕事を続け、子供が巣だった後、家を処分して住まいを東京から家賃の安い埼玉へ引っ越したそうだ。

夫婦二人で仕事を続け週末は、東京の長女と次女の家へ行き、孫の世話に追われていると言う。

いつも、4人息子を育てたあなたは偉いよ。よく頑張ったねと、言ってくれる。

世界中の誰も言ってくれなくても彼女が誉めてくれれば、私は満足だ。

いつも、色んな話をする。

お互いの子供の事、仕事や近所、親戚や人間関係の事、

親の介護から孫の子守りの話まで、

そして年老いていく夫婦の仲良しの秘訣まで、

時には笑い、時には、涙ぐみながら、

もう、若くないから、これからは体調管理が第一にと、食事や運動の事まで、何でもも話す。

いつも、ビデオ通話で手を伸ばし、握りしめることは出来ないけど、埼玉と福岡で一生懸命、暮らしながら、いつも心は側に居るよと、心は繋がっているよと。

そうしたら、本当にいつも彼女が隣にいるような、そんな、錯覚さえしてしまう。

飛行機で埼玉から福岡に来て、やっと会えたねと喜びあい、明日は東京に住む娘の家で子守りしないと行けないからと日帰りで帰って行った。

今度は、私が埼玉に会いに行くね、何時になるかなあ、当分忙しいな、また、ビデオ通話でおしゃべりしようねと、何度も手を握りしめ、二人で写真を取ったら、彼女は飛行機に乗って帰って行った。

心がぽかぽかと暖かくなった。

女の友情は続かないと言う人に、いや、女同士が一番いいよ。と言いたくなる。

本当に魂の片割れのようで、何でこんなに私の気持ちが分かるのと、言うくらいに彼女と一緒にいると楽しい。

これから、ずーっと百歳になるまで彼女と一緒におしゃべりを続けていきたいと思う。

年を重ねていくことが悪いことではないなと二人でいると思う。

体力は落ち、容姿は変わっていっても、お互いのシワが可愛いと笑いあえる。

そんな女友達がいる事が本当に幸せだと感謝したい。

いつまでも、ずーっとおしゃべりしようね。

またビデオ通話しよう。

いい週末を送って下さい。

私の大好きな友よ。

東京から友人が会いにくるよ

東京から友人が私に会いに来るという。

25年前に会って、それ以来、年賀状のやり取りだったママ友達が明日、私に会いに来ると言う。

不思議だ。25年ふりに会うことになった。

東京生まれの東京育ちで九州は来た事もなく、福岡は、初めてだと言う。

次男が5歳の時に山村留学をした時の同級生のお母さんだ。

その時、日本中の子供達と一緒だった。何回か、親同士の交流の場が会って、その時に出会った。

彼女とは出会った時から、不思議なくらい、気があった。

生まれも育ちも違うのに、自分の分身と言うか、片割れと言うか、とにかく、考えていること、感じる事、全てが同じと言うか、通じあうというか、とても一緒にいて心地よかった。

それから、お互いに子育てや仕事に忙しく、年賀状のやり取りぐらいで会う事もなかった。

東京と九州、離れていたからと言うより、とにかく、自分の家庭で精一杯だった。

お互いの子供達が成長し、それぞれ、良き相手を見つけ、結婚する事になり、次男が関東で就職し、関東の子と結婚するので、九州とは、結婚式とか、違うのかなと電話で相談するようになった。

コロナ禍になり、今までしなかったビデオ通話で顔を見ながら、おしゃべりを毎日するようになった。

こんな、便利で楽しい事あったのねと喜びあった。

まるで学生時代に戻ったみたいに毎日、色んな事を話した。

息子とのやり取りで傷付いた事、ちょつとした行き違いなのに、いつまでも心が痛い事。どこの家庭でもある事だけど、他の人に話せない事もたくさん話せた。

家族だから、時には、ぶつかる事もある。

時間が過ぎれば、全て思い出になる。

それでも、彼女は傷付いた私を心配し、私の側に居たいから会いに来るという。

あなたは私の亡くなった両親が、娘の私を心配して送ってくれた大事な友人だねと私が言うと、そうだよと言って笑う。

人は生まれる時も死ぬ時も一人だと思っていたけど、こういう優しい友人がいてくれると、何となく、人って信じてもいいんだなと思ってしまう。

そして、心がほんわかと暖かくなっていく、、

生きていてよかったよ。

私の人生、まんざら、捨てたものではないなと喜びがわいてくる。

ありがとう。私の大好きな友よ

熊野神社に行く

毎朝、ラジオ体操をした後に、近くの公園にウォーキングに出掛ける。

そして熊野神社にお参りに行く。本当にすぐ近くの神社で地域の人が犬の散歩や、ジョギングの途中で立ち寄り、皆さん、手を合わせてお祈りしている。

私も何年も前からの習慣で、手を合わせ、子供の受験や就職、そして結婚など手を合わせ、お願いして来た。

そんな私の様子を見ながら、主人は神社はお礼を言う所で願い事を言うのは、間違っているよと言う。

いやいや、困った時の神頼み、神様、仏様、イエス・キリスト様、何の神様でも構わない。

私の願いを聞いてくれるならと今日も神社に行って手を合わせ、願い事を言う。

 

そして朝日を思いきり全身に浴びて、今日も元気に楽しく過ごそうと家路に着く。

今日の朝御飯は何にしようかな。

早朝奉仕に行く

地域の公園に第1、4土曜日は早朝奉仕に行く。

朝5時半スタート。毎朝4時起きの私にとって、5時半は全く

苦にはならないが、まだ暗くて公園も電灯が一つしかない。

他の人は懐中電灯を持って来られていたが、私は自転車の外灯で公園を照らした。

4人だけだったけど、黙々とカンジュースの缶やペットボドルを拾い、桜の花びらが落ちているのをホウキでせっせと掃き、掃除した。

ごみ拾いは心の掃除、心のごみを無くす事だと誰かが言っていたな。

また運を拾うとか。

ともかく、早朝、暗いうちから、ごみ拾いをするのもいいものだと思った。

また、桜がたくさん散っていて、公園に入る階段を上からずっと掃いていったが、掃いても掃いても、またすぐ桜の花びらは散って行くだろう。

今年の桜は見事だったなと自然の美しさに心清められたと心から感謝したい。

また会社の寮にいた頃、月に2回は掃除があって、桜並木通りをせっせと落ち葉を掃除してた日々を思い出す。

その頃は私にまとわりつく、長男と次男がいて、掃除しながら、走り回る子に邪魔しないでとか、言ってたっけ。

もう、私にまとわりつく子はいない。

いや、猫がいるな(笑)

そう思ったらちょつと笑ってしまった。

何年経っても、桜は毎年、見事に咲き、こうして朝から、せっせと掃除出来る日々がなによりも幸せだとおもう。