姉さんは、綺麗だった

亡くなった私の母は、周りの人から、姉さんと呼ばれてた。

なぜ、姉さんなのか、6人兄弟の5番目として産まれ、姉達は結婚して実家を出て、長男である兄夫婦と同居していた。

父親は交通事故で早く亡くなり、母親は病弱で寝たきりで母は、ずっと小さい頃から家の家事や母親の介護、兄夫婦が朝早くから、仕事へ行くので、女の子3人、兄夫婦の娘達である姪っこ達の世話もしていた。中学、高校生の時には学校から帰ると家の仕事から家事まで全部やってて遊ぶ時間など、なかったと言ってた。

青春時代など、なかったと。

母の姪っこ達、私にとっては従姉妹だったが、いつも母を姉さんと呼び、とても慕ってた。姉さんから育ててもらったと。姉さんはとても、綺麗だったと。いつも、口々に綺麗で人柄がとても良かったと言ってた。

母は、実家の母親を看取ると父と、お見合い結婚した。

父は6人兄弟の長男で、嫁いでからも、姉さんと呼ばれた。

父の両親、私にとっての祖父母は、母に、長男の嫁として、厳しく、母はとても苦労していた事は、私は、もの心つく頃にはもう、感じてた。

父の兄弟や私達、子供の世話をして、家の家業を手伝い、舅、姑に仕え、一日中、働いてた。

自分の時間なんて、なかったと思う。

そして、祖父母が老衰で、寝たきりになると自宅介護をして、おむつ換えから、全部していた。

10年以上はしていたと思う。もっと長かったかも知れない。

私の記憶では、私が高校生の時には祖父は寝たきりだった。夜は、徘徊したりしてた。良く、自宅から出て行く祖父の後を追い掛けてた。今の時代は、

みんな施設に行くが、父も母も親の世話は当然と家で介護してた。 

私は母のような人生は嫌だと、娘時代、ずっと思ってた。

お母さん、生きてて何が楽しいの。

苦労ばかりして。母によく、そう言ってた。

でも、私も結婚し、息子4人産まれ、母親になり、愛する家族の為に生きる事が、こんなに尊く喜びのある日々なのだと言う事が今、分かるようになった。

母が生きていたら、もっとたくさん話をしたのに。

母が何を望み、やりたかった事、全てやらせてあげられたのに。

お母さん、行きたい所ある。

連れて行くよ。食べたい物ある。

会いたい人は、いるの

母の望みを全て叶えてあげるのに。

母はいない。写真の中で笑ってる。でも、母は心の中にいる。

今日も綺麗な景色を眺めよう。もう、4月になる。母の誕生日も4月だ。

姉さんは綺麗だった。人間性もよく、心も綺麗な人だった。

従姉妹の姉さん達が亡くなった母の事をいつも、そう言う。

姉さんは綺麗だった。